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三宮神社の御武射神事

尾張大國玉神社が尾張の國玉を祀る、尾張氏が勢力を持つ前からの祭祀の場であるらしい、ということで稲沢というところに興味がわき、図書館で「新修稲沢市史本文編上」を借りてきた。

それを読んでいて、旧暦正月12日(今年は2月3日)に、稲沢市大塚南にある三宮神社で御武射神事があることを知った。

大きなワラジを履いた宮司さんの写真がのっていて、面白そうなので国府宮の大鏡餅奉納と重なるが、今年は三宮神社のほうを選択した。

三宮神社は、性海寺の境内にあり、境内には大塚古墳もあって、一昨年4月に古墳を目当てに訪れたことがある

そのとき本殿前に大きなワラジが奉納してあったので三宮神社については印象に残っていた。

神事は14時から始まる、ということで、12時に家を出て、名鉄国府宮駅で降り、大江用水に沿って歩いてちょうど1時間で神社に着いた。

社殿は性海寺の多宝塔の後方に、東南東向きに建つが、鳥居は、南へ続く参道の随分先に立っている。

神事の詳細は、「新修稲沢市史本文編上」によると、

「三宮社は性海寺の境内にあり、寺の書上げによれば弘仁9年(818)に弘法大師が鎮守として八剣宮を勧請し、牛頭天王と春日明神を摂社とするため、三宮社と呼んでいる。

当日の午前中、氏子の当番の者で祭具を用意する、性海寺境内の林から樫の木を伐ってきて麻の弦を張って弓をつくり、矢は女竹を採ってきて用意する。的は今はベニヤ板でつくるが、もとは網代で三尺ほどの円形になっており、その中央に一尺ほどの円を墨で描き他は白く塗り、裏面に巴文を書く。

ここの祭礼で最も特徴のあるのは、長さ6尺、巾2尺5寸ほどの大草履を作ることで、片側のみでも40束余の稲藁が使われる。稲藁で長さ4尺、巾1尺3寸ほどのコモをつくり、これを巻いて、女竹の幣串を縛る。

午後二時ごろになると氏子は社務所に集まり、鏡餅を長方形に切った雑煮をいただいてから、午前中に用意した祭具をそれぞれもって本殿に到り、大草履は本殿の階段の下の左右へ飾り、的や弓矢は左側に置かれる。祭文殿において一般の神事が行われたあと、宮司は「御田祭、御武射神事」の祝詞が読まれる。田打ちから、田長、八乙女の田ささら植えや簓(ささら)を鳴らして鳥追いする様子などが唱えられる。

的は神社の南の入口にある東西の幟立石からそれぞれ竹を山形に折って、その頂点に的をさげ、その左右に御幣とコモを広げて垂らす。

宮司は射手となり、大草履を履いて祭文殿から拝殿まで進む。もとより、一人で歩くことはできないので、人々に大草履をひっぱってもらう。氏子総代は弓矢を持って従い、拝殿の東端にまで達すると、宮司は弓矢を受けとり、大草履を履いたまま、南の的に向い、三本の矢をゆっくり射る。この矢を拾ったものは縁起がよいということで、群衆は競って奪い合う。射終ると的も粉々に割ってしまう。

この後、宮司は若者の担つぐ輩台に乗り、大塚村中の田や畠を祓ってまわる。今は一の鳥居のところまで出て、大塚の田畠に向ってお祓いをし、また、神社へもどって、その入口でお祓いをして、御武射の神事は終る。」

拝殿の神事を始める前に、社務所の中で、宮司が氏子一同に「味噌雑煮」を振舞う。

関係者以外で祭に来ていたのは私だけのようだったが、私も、どうぞどうぞ、と内に入れていただき、関係者じゃないですがいいですか、と恐縮しながら雑煮をいただいた。

「なお、昭和三十年頃までは、的をつける竹を多く伐っしてきて、藪のように建てかけ、宮司が祭文を唱えている間に、拝殿に坐っている長老達を若者達が、勝手に抜き出して輩台に乗せてつれだし、竹を建てた中へ放り出したりしていた。」

 

ということで昔はもっと荒っぽかったようだが、今は、ワラジも小さくなり、おとなしくなったようだ。